
大阪・関西万博のブラジルパビリオンでは、8月13日(水)、「『食料ガバナンス』の対話」と題されたイベントが開催され、イベントの中では連邦会計検査院(TCU)のアウグスト・ナルデス判事による講演などが行われた。
近年、食料システムの持続可能性と包摂性が国際的な政策課題として浮上する中、ブラジルは食料ガバナンス(governança alimentar)の分野において、制度設計と地域実践の両面で先進的な取り組みを展開している。
そもそも食料ガバナンスとは、食料システムに関わる多様な主体—政府、企業、市民社会、地域コミュニティなど—が、食料の生産・流通・消費・廃棄に関する意思決定を協働的に行うための制度的枠組みやプロセスを指す。
これは単なる「政策」や「制度」ではなく、権力・資源・価値観の分配と調整を含む政治的・社会的な営みであり、いわば「食をめぐる公共性の設計」とも言える。食料を誰が、どのように、どこで、どの目的で扱うのかという問いは、社会の構造と倫理を映し出す鏡であり、ガバナンスのあり方はその社会の価値観を体現する。
このような視座に立ったとき、ブラジルの食料ガバナンスは、制度的整合性、地域的実践、国際的連携の三位一体によって構成されており、食の公共性を再構築する先進的なモデルと言える。
ブラジルにおける食料ガバナンスの制度的中核を担うのが、SISAN(Sistema Nacional de Segurança Alimentar e Nutricional:国家食料栄養安全保障システム)である。SISANは、国家レベルでの政策調整を行うCAISAN(省庁間会議)と、市民社会の声を政策に反映させるCONSEA(国家食料栄養安全保障評議会)から構成される。
特にCONSEAは、政府・市民社会・学術界が対等に議論を交わす協議型の機関として、飢餓撲滅と食料主権の実現を掲げてきた。一時期の廃止を経て、2023年に復活したことは、食料政策における民主的ガバナンスの再評価を象徴している。
この復活の背景には、ルーラ政権の明確な政治的意思がある。ルーラ大統領は「飢餓は政治の問題であり、無責任な政府によって生まれる」と明言し、飢餓撲滅を国家の最優先課題として位置づけている。このスタンスは、食料政策を単なる「制度」ではなく、「社会的契約」として捉え、食をめぐる公共性に真正面から向き合う姿勢を示している。すなわち、食料へのアクセスは市民の権利であり、国家はその保障主体としての責任を負うべきだという理念に基づいている。
このような政治的立場は、CONSEAの復活のみならず、SISANの再活性化、PAAやPNAEの強化、地域レベルでの家族農業支援策の拡充など、食料ガバナンス全体の再構築に直結している。ルーラ政権の取り組みは、制度設計の技術的側面を超えて、社会的連帯・倫理・包摂性といった価値の再定義を伴うものであり、食料政策を通じて民主主義の質そのものを問い直す試みとも言える。
制度的枠組みに加え、地域レベルでの実践もブラジルの食料ガバナンスを特徴づけている。
例えばその一例として、リオグランジドスウ州で展開されているPEAF(Programa Estadual de Agroindústria Familiar:州家族農業加工支援プログラム)を挙げることができる。
PEAFは、家族農業による加工品の合法化を支援し、衛生・環境・税制面での基準を満たすことで、非公式経済からの脱却を促す。さらに、認証ラベル「Sabor Gaúcho(リオグランジドスウさんの味)」の付与により、地域の食文化とアイデンティティを保護しつつ、製品の市場アクセスを向上させている。
2024年にはPEAF創設12周年を記念して、州内で11の地域セミナーが開催され、農業者・自治体・技術支援機関・消費者が一堂に会し、制度の改善と普及に向けた議論が行われた。特に、サント・アントニオ・ダ・パトルーリャ市での事例研究では、農産加工業者が直面する課題や、Emater(農村技術支援機関)の介入可能性について、参加者が主体的に意見を交わす場が設けられた。これは、食料ガバナンスが単なる制度設計ではなく、地域社会との対話によって形成される動的なプロセスであることを示している。
この地域では、伝統的なサトウキビ蒸留酒カシャッサの生産が、PEAFの支援を受けて合法化され、Sabor Gaúchoのラベル認証を取得した事例が報告されている。
報告によると、かつては非公式に生産・販売されていた一部のカシャッサが、衛生基準や税制要件を満たすことで正式な市場に参入し、地域ブランドとしての価値を高めているという。これは単なる経済的支援にとどまらず、地域の伝統的知識と文化的実践を制度的に認知し、公共性の枠組みに組み込む試みである。カシャッサの事例は、食料ガバナンスが「何を食べるか(飲むか)」だけでなく、「誰が、どのように、なぜそれを作るのか」という問いに応える制度設計であることを示している例といえよう。
さらに、ブラジルの食料ガバナンスは国際的な文脈とも接続している。FAO(国連食糧農業機関)やCFS(世界食料安全保障委員会)において、ブラジルは南南協力の旗手として、PAA(食料購入プログラム)やPNAE(国家学校給食プログラム)などの制度を他国に紹介し、知識共有を進めている。これらの制度は、地元の小規模農家から食料を調達し、学校や福祉施設に供給することで、社会的包摂と地域経済の活性化を同時に達成する仕組みである。
このように、ブラジルの食料ガバナンスは、制度的整合性、地域的実践、国際的連携の三位一体によって構成されており、食の公共性を再構築する先進的なモデルと言える。飢餓を「政治の問題」として捉え、社会的責任と倫理的意思に基づいて制度を設計する姿勢は、食料政策を単なる技術的課題ではなく、文化的・哲学的課題として位置づけるものである。
今後、こうしたブラジルの経験は、他国における食料ガバナンスの構築にとって重要な参照枠となるだろう。とりわけ、地域主権・市民参加・持続可能性を統合する制度設計のあり方は、食の未来を考える上で不可欠な視座を提供している。
(文/麻生雅人)
