カラサー大聖堂で作られるカシャッサのひとつ。愛好家向けの「カシャッサカラサー大聖堂」(写真/Agência Bibit/Divulgação)

ミナスジェライス州にある観光名所のひとつとして知られるカラサー大聖堂には、自然、歴史、文化、ガストロノミー、宗教に関する、ここにしかない特別な体験を求め、国内外から観光客が訪れる。

カッタス・アウタス市とサンタ・バルバラ市の間に位置する山地にある大聖堂は、シンボルでもある教会堂を中心に、農場、博物館、宿泊施設などで構成された複合施設となっている。

カラサー大聖堂(写真/Ana Raquel S. Hernandes/flickr)

豊かな自然に囲まれたこの地には多様な動物相が見られ、386 種の鳥類、42種の爬虫類、12種の魚類、76種の哺乳類が生息している。近隣に生息している絶滅危惧種のタテガミオオカミが間近でみられることでも知られている。

そしてカラサー大聖堂は、歴史の重要な証人でもある。国と州の歴史美術遺産に登録されているほか、「王室街道(エストラーダ・ヘアウ)の7名所」のひとつにも数えられている。

王室街道とは、内陸部のミナスジェライス州と港がるリオデジャネイロ州間で金とダイヤモンドの輸送を円滑に行うため、17世紀にポルトガル王室によって創設された街道。ミナスジェライス~サンパウロ~リオデジャネイロの3つの州にまたがり約1,600kmに及ぶ街道沿いは、鉱物や物資の運搬に伴い発展していき街や教会などが作られていった。

そのため街道沿いには、ブラジルの発展と共に歴史を育んでいった地域が数多く存在する。ミナスジェライス州サバラー市にある市立劇場もそのひとつで、1819年に作られたこのオペラハウスは国内で2番目に古い劇場として知られている。

現在大聖堂がある敷地には1820年に学校が作られ、当初は高等教育を行う学校と神学校が運営された。これらの学校は、ブラジルの独立運動など歴史に翻弄され、一時的に廃校となったり、形を変えた学校として運営されるなど、姿や役割を変えて大勢の学生や使徒を育てた。

カラサーの学校は、聖職者、政治家、法律家、医師、学者など排出しているが、アフォンソ・ペナ(1906年~1909年)、アルトゥール・ベルナルディス(1922年~1926年)などブラジル連邦共和国大統領も名を連ねている。

1876年に建設が始まり7年後の1883年5月27日に完成した教会堂は、ブラジル初のネオゴシック様式の教会として知られている。

現在は宗教施設や文化施設に加え、宿泊施設も備わった複合施設として年間約7万人が訪れる観光地でもあるカラサー大聖堂は、ガストロノミーの観点からも人気の施設だ。中でも最もよく知られているのが、手作りチーズだ。

市場に並ぶミナスジェライス州産の手作りチーズ(写真/MTur Destinos/flickr)

酪農の歴史と伝統があるブラジルは、実は手作りチーズの名産地でもある。フランスで開催される権威あるチーズ品評会「モンディアル・デュ・フロマージュ」でも、ブラジル国内各地の生産者が続々とメダルを受賞して、世界中から注目を集めている。

そしてブラジルの中でもミナスジェライス州は、国内でも屈指の手作チーズの名産地として特によく知られている。「モンディアル・デュ・フロマージュ」で最初にメダルを受賞したのも同州産のチーズだった。

ミナスジェライス州のチーズの中でも、「ミナス産手作りチーズ(QMA)」の認証シールを製品に張ることができるのは、「カナストラ」地域や「アラシャー」地域をはじめ、伝統的な製法(天然凝乳酵母や生乳の使用など)でこの地域特有のテロワールを生かしたチーズ作りを行っており、州に認証された地域のみだ。この認証を受けているのは現在、10の地域のみで、カラサー大聖堂をエリア内に含む「ピエダーヂ~カラサー間の山地」地域も、そのひとつだ。

毎年、ミナスジェライス州では、ミナス料理の保存と促進に尽力した人々と団体にエドゥアルド・フリエイロ杯が贈られている。1960年代にミナスジェライス州の食文化に関する著作を残した作家エドゥアルド・フリエイロにオマージュの名を関したこの賞は、同州におけるガストロノミー界の表彰で最も重要なもののひとつと考えられている。

2024年、エドゥアルド・フリエイロ財団は、ミナスジェライス州の手作りチーズ生産者と、生産者を支援したミナスジェライス州農村発展技術支援公社(Emater-MG)関係者にエドゥアルド・フリエイロ杯を贈呈した。そして「ピエダーヂ~カラサー間の山地」地域の生産者も、この中に含まれていた。

この地域のチーズ生産の歴史は200年以上といわれているが、約70年前にその生産は途絶えていたという。

フランスの「モンディアル・デュ・フロマージュ」で、「ミナス産手作りチーズ(QMA)」認証地域のひとつである「カナストラ」地域のチーズがブラジル初のメダルを獲得した2015年、カラサー大聖堂と全国商業学習機関(Senac)ミナスジェライス州支部が協力しあって計画した“ミナス料理の根源”プロジェクトを通じて、地元生産者による手作りチーズの生産が復活した。

チーズや牛乳は、野菜や果物などと共に、複合施設内にあるエンジェーニョ農場で生産されている。

「ピエダーヂ~カラサー間の山地」は2022年、「ミナス産手作りチーズ(QMA)」の認証を受けることができた。カラサー大聖堂のチーズは、ハードタイプとセミハードタイプが生産されており、大聖堂複合施設を訪れる人々の楽しみの一つになっているという。

大聖堂ではチーズのほかにも、クラフトビール、蜂蜜酒、ワイン(葡萄酒)、ジャブチカーバのワインなどのお酒類も製造されている。ジャブチカーバのワインもまた、ミナスジェライス州が誇るエキゾチックなご当地産品だ。

毎年ジャブチカーバ・フェスティバルが開催されるサバラー市のジャブチカーバ(写真/Divulgação)

ジャブチカーバはアントシアニンが豊富な紫色をした、フトモモ科キボウドウ族の果実。

果実はブルーベリーをひとまわり大きくしたような見た目をしている。房や枝ではなく、木の幹に直接実がなるため、たくさんの実をつけた木の姿は独特だ。

ブラジルの大西洋沿岸森林地域が原産であるこの果実は南東部、中西部、南部にかけて見られるが、地方によって種が微妙に異なる。ミナスジェライス州で多く見られるサバラー種が甘く、人気は高い。

そして、ジャブチカーバの名産地として名高いサバラー市から車で2時間ほどの距離にあるカッタス・アウタス市は、このジャブチカーバを使ったワインの産地として知られている。

ジャブチカーバのワインも、この地域の歴史と密接なつながりがある。

「王室街道(エストラーダ・ヘアウ)」と共に発展したカッタス・アウタスは、金など鉱物が枯渇してゴールドラッシュが終焉を迎えると寂れてしまった。1868年にこの地に赴任したマノエウ・ペレイラ・ジ・ヴァスコンsネロス神父は地元の人々が生活の糧を得られるように、ブドウの栽培、剪定、収穫の方法から、ワイン造りの技術を人々に伝え、やがて同市はミナスジェライス州内のワインの名産地として知られるほどになった。

ワイン(葡萄酒)の生産が始まってから約80年後の1949年、アナスタシオ・ジ・ソウザ氏が、地元の名産品ジャブチカーバでワインを作ると、原料が豊富で地元で親しまれている果実だったこともあり、またたくまにこの地で広まり、今では同市の名物として知られるようになった。

毎年5月に同市で開催されるワイン・フェスティバルでも、ワイン(葡萄酒)と並びジャブチカーバのワインは注目のアイテムとなっている。

そのためカッタス・アウタス市とサンタ・バルバラ市の間に位置する大聖堂でも、ジャブチカーバのワインが製造されている。

そんな大聖堂で、クラフトビール、蜂蜜酒、ジャブチカーバのワインに続いて、新たな名産品としてクラフト・カシャッサづくりが始まった。

カラサー大聖堂で作られるカシャッサのひとつ。「「カシャッサカラサー大聖堂」と同様、愛好家向けのライン「カシャッサ カンジェラーナ」(写真/Agência Bibit/Divulgação)

ミナスジェライス州といえば手作りチーズ(ケイジョ・アルテザナウ)の名産地であると同時に、手作りカシャッサ=クラフト・カシャッサ(カシャッサ・アルテザナウ)の名産地としても有名だ。

サトウキビから作られる蒸留酒カシャッサはブラジルの国民酒。最も生産量が多い州は、大量生産を目的とした工業カシャッサ(カシャッサ・インドゥストリアウ)の大手メーカーが集まっているサンパウロ州だが、クラフト・カシャッサの生産量(つまり手作りカシャッサを作る蒸留所の数)が最も多いのは、ミナスジェライス州となる。

カラサー大聖堂では、地元のガストロノミーを求めて訪ねてくる観光客に同州の名物でもあるカシャッサをふるまうため、カシャッサ生産者などと協力を得て、複合施設内でのカシャッサの製造と販売所を開始した。

カラサー大聖堂ではかつてカシャッサの製造が行われており、今回の復活は大聖堂の歴史をよみがえらせるプロジェクトだという。

「20世紀の初頭にはここで神父たちの手で製造されていましたが、1968年の火災で生産は中止されていました」(エマノエウ・ベデー神父)

地元メディア「エヂサォン・ド・ブラジル」(12月20日付)は、大聖堂のエマノエウ・ベデー神父の発言を紹介している。

「原料のサトウキビは複合施設内にあるエンジェーニョ農場で栽培され、搾汁、そしてカシャッサのすべての製造工程…発酵、蒸留、瓶詰まで…をここで行います。施設外の販売店への配送も可能です」(エマノエウ・ベデー神父)

カシャッサ生産の再開が本格的にはじまるきっかけは、神父が旅先で、同州にあるカシャサリーアス・ノーブリ蒸留所のジオヴァーニ・ジェロニモ・ペレイラCEOとの出会いだったという。

「対話が始まり計画は発展していき、時間をかけてその計画を準備建てていきました」(ジオヴァーニ・ジェロニモ・ペレイラCEO)

カシャッサの生産は、大聖堂の歴史を復活させるだけでなく、地域の観光業にとってもプラスの効果が期待されている。

「観光客に新たな魅力を提供することも目的のひとつです。旅行者には製造を公開して、予約制でガイドをつけて工程を見学してもらいます。また、街道にある数々の蒸留所とも協力しあって、カラサーでカシャッサウィークを開催したいと考えています」(エマノエウ・ベデー神父)

大聖堂では、愛好家向け、初心者向け、女性向けなど、幅広い消費者に向けて数種類のカシャッサのブランドを製造している。

(記事提供/Mega Brasil)